本を贈るって、意外と難しい!?

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前回の投稿よりだいぶん日にちが開いてしまいました、今回のエントリーは4月19日(水)の内沼晋太郎さんトークイベント、「本を贈ることについて語るときにぼくの語ること」に参加してきたので、そのレポートを行いたいと思います。場所は日比谷図書文化会館です。

 

先日、日比谷図書文化会館に立ち寄った際、たまたまチラシを目にして知った今回のトークイベント、参加してきました。人が人に本を贈る、またはすすめる際にバイアスがかかるのではないか、そしてそのバイアスとどう付き合っていけばよいのか、という問題意識を抱えていた自分にとって、何かヒントのようなものが得られるのではないかと思って申し込んだ次第です。ちなみに今回のトークイベントは4月23日の「サン・ジョルディの日」に合わせたテーマだったようです。

 

内沼晋太郎さんは、店内でビールが飲めて、毎日イベントを行っている、下北沢の本屋B&Bの共同経営者として有名かと思います。ちなみにチラシの肩書は「numabooks代表、ブック・コーディネーター、クリエイティブ・ディレクター」。以前に読んだ内沼さんの著書、『本の逆襲』(朝日出版社・2013年12月)では、内沼さんの様々な本にまつわる活動が書かれていて、とても面白いなあと思ったことを記憶しています。

 

会場は日比谷図書文化会館、定員60名のところほぼ満席といったところでしょうか、なんとなくですが出版社系の方々が多くいらっしゃっていたような印象を受けました。席には日比谷図書文化会館のイベント案内と、本日のレジェメ。レジェメには「1つの引用」と題して、レイモンド・カーヴァーの「愛について語るときに我々の語ること」の一節の引用がありました。その引用は、今回のトークイベントの肝とリンクする一節になります。

 

トークイベントの前半は、内沼さんの今までから現在までの活動の紹介でした。文庫本を紙で包んでその一節だけわかるようにしておく(葉書としても出せる)「文庫本葉書」や、書き込みができる書店の「WRITE ON BOOKS」といった取り組みの紹介、そして本屋B&Bを立ち上げるまでの経緯、本屋B&Bの特徴などをお話しいただきました。

 

そしていよいよ後半部、「本を贈る」ことについてのお話です。内沼さんは、本は人を傷つけることがある、本は相手の時間を奪う、かといって誰も傷つけず時間も取らない本はほとんどつまらない、絶対にぴったりだと思う本は読んだことがある可能性が高い、という4つの理由を挙げて、本を贈ることは一つの暴力のようなものではないか、というようなことをお話しされました。個人的にも、確かにそうかもしれない、と思うところがありました。本をすすめるというのは、ある意味ですごく傲慢なことではないのかと考えていた自分にとって、「本を贈る」という行為になってしまったらそれはもう暴力のようなものではないかと。

 

またその上で、「本を贈るときの最低限のマナー台詞」としてのお話もありました。「あなたに合うかはわからない」、「もし持っていたら誰かにあげてください」、「読まなくていいし、感想は言わなくいいから」という3つです。確かにこの3つの言葉が添えられていれば、本を贈られた(すすめられた)ときに、随分と心理的に楽になるなあと思いました。

 

そして本を贈る際のテクニックとして、「本を贈り物の『従』とする」、「一度に読み切れないくらいたくさん贈る」、「相手の本棚を見て話をする機会を作る」の3つをご紹介されました。

 

そして、結論として「本を贈ることは難しい」、そして補足のような形で「しかし当たれば素晴らしいと」。

 

確かに内沼さんのおっしゃる通り、本を贈るという行為は凄く難しいことではないかと改めて考えさせられました。それは、本は一つの価値であり、またその価値を巡って読者の一人一人が違う価値を見出す、という個人的に以前から思っていたことと突き合わせると。それを贈り物という形にするのはまさにある意味で価値観の押し付けであり、また暴力のようなものだと痛感させられました。世の中には本当にたくさんの本が存在しますが、その中でどの本を選ぶのかはその人の自由です。しかし「本を贈る」ということになると読者にとって選ぶという余地がなくなってしまします。また先述したように本は時間を奪います。

 

とここまで書いてみて、なんだか少し悲観的な内容になってしまいましたが、質疑応答で明るい話題が出たので紹介したいと思います。それは本を贈る人が魅力的で素敵な人だったら、というものです。確かに本が人を介したとき、介した人が魅力的で素敵な人であれば、本の意味合いも変わってくるのではなかと思いました。

 

また自分からも一つ質問をさせていただきました。それは「本を選んで贈ったりすすめたりする際にはバイアスが生じると思うのですが、そのバイアスと上手く付き合いにはどうすればいいのか」という主旨の質問でした。その問いについて内沼さんに、「書評やPOP自体を面白く、周辺を楽しくする」という内容の答えをいただきました。「バイアスが掛かることを楽しむ」というように理解しました。バイアスをネガティブに捉えるのではなく、ある意味で開き直ってポジティブに楽しむ、ということでしょうか。そう考えると本を贈ったりすすめる際に様々なアイディアや工夫を施すことを心掛けることが楽しめるように思いました。

 

今回のトークイベントに参加してみて、本を贈ることの難しさを改めて、痛感しました。また本を贈る、すすめる際にはマナーなども必要になってくるなとも。気軽に考えていたことが、実はこんなにナイーブに考えなければいけないということが驚きでもありました。

配布レジェメにあったレイモンド・カーヴァーの「愛について語るときに我々の語ること」の一節の引用ですが、ここまでこのエントリーをお読みいただければ、「愛について語るときに我々の語ること」を実際にご一読されれば引用の該当箇所はおわかりになるだろうと思います。ずるい、と言われるかもしれませんが、短編小説ということなのでぜひ読んでいただければと。自分もこれから読みます。

 

内沼さん、日比谷図書文化会館の方々、貴重なお話し、機会を本当にありがとうございました。

 

 

 

日本文藝家協会主催シンポジウム 「公共図書館はほんとうに本の敵?」に参加してきました

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こんにちは、先日2月2日に新宿紀伊國屋サザンシアターにて行われた標記のシンポジウムに行ってきました。そのレポート、雑感などを。長くなりそうですがお付き合いいただければ幸いです。

刺激的なタイトルのこのシンポジウム、登壇者は佐藤優氏、林真理子氏、猪谷千香氏、菊池明郎氏、根本彰氏、石井昂氏の六名と、司会は植村八潮氏。やはり日本文藝家協会主催であることを感じさせる顔触れ。

このシンポジウム、どういった趣旨で開催されたのかと配布された資料に目を落とすと、「出版産業の現状は、まさに危機的です」と出版物の売上の落ち込みの現況、しかし公共図書館の貸出冊数は増加している、だが「そんな公共図書館も、実は出版界と同じく危機にあると思われ」ると、そして「書店・作家・出版社、すなわち売り手・書き手・つくり手と、公共財の有効利用者たる公共図書館が協力・共存する未来はえがけないか、それぞれの立場からの考えを知りたい、そのために話し合いたい、そして日本語表現文化の未来像をイメージしたい」とあります。

個人的な問題意識としては、エンドユーザーたる読者のことも含めての問題意識をもって臨んだので、その辺りが少し腑に落ちないなと思いつつも、話の落とし所がどこになるかに留意して、シンポジウムを聴くこととなりました。

まずは、登壇者各々の挨拶。どんなことを話されたのかを以下に簡単に。

石井氏→公共図書館を敵だと思ったことはない。

根本氏→貸出至上主義にはそこまで肯定的な立場であるわけではない。

林氏→本屋の娘としてこのシンポジウムに臨んだ。(出版業界と公共図書館)同じ船に乗っているもの同士。

佐藤氏→新自由主義、反知性主義が悪い。

猪谷氏→図書館と出版業界が手を取り合ってという実感。

菊池氏→出版社として言うべきことは言わないといけない。再販制度について。

その後は石井氏に話を振る司会の植村氏。石井氏は公共図書館におけるベストセラーの複本問題に言及。中堅作家の増刷がかからない、また無料で読めるという感覚を利用者が持ってしまっている。 新刊の本は貸出まで6ヶ月待って欲しいという提言。 そして図書館は出版社に理解をと。

根本氏がそれを受ける形で、図書館の目的は多様であるにも関わらず、日本の司書の専門性は低い、それは資格は簡単に取れるし養成の過程もしっかりしていない、行政評価が単純化し過ぎていて貸出冊数はその単純化された指標の大きな一つ。

そこで指定管理者制度に話が。林氏は武雄市図書館に言及、はじめは良いイメージを持っていなかったが、実際に行ってみると良い印象を持った。地元の中学校のクラスでは全員が武雄市図書館に行ったことがあったと。

また登壇者から、首長によって「公共」というものがコロコロ変わって良いのかという指摘も。

そこで佐藤氏、大学時代の同志社大学の神学部図書館のエピソードや、図書館で廃棄される貴重資料の話。公共図書館の在り方がよくわからない。

根本氏がそれに関して公共図書館と大学図書館のコレクション構築の違いもあると。公共図書館における予約について、市民・素人が関わることの是非、またマネジメントが自律的ではないと可能ではないという話。それを受けて、植村氏は市民の圧力が公共図書館をつくってしまうのではないか、司書の自律性が危ういと。

ここで猪谷氏に全国で先進的な取り組みを行っている図書館の事例紹介。武蔵野プレイス、まちとしょテラソ、まちライブラリー、千代田区立図書館など。また市民の図書館リテラシーについて。その流れで根本氏における海外の図書館の事例紹介。

そして、石井氏から公共図書館における「ベストセラー寄贈のお願い」についての苦言。住民の質のレベル、理想の図書館とかけ離れていると。そこで話を振られた佐藤氏、拘置所の図書館が究極の寄贈図書館だというお話。

最後に理想の図書館とはどんな図書館か? という問い掛けに登壇者各々が答える形を持って終わりに。

菊池氏→伊万里市民図書館、ビジネス支援、リテラシーが高い。

猪谷氏→子どもの学びを取り巻く格差、それを図書館で埋めるべき。長い目で見た、本の文化を作り上げる図書館。

佐藤氏→久米島の高校図書館。

林氏→家から近い、人が少ない、買えない本がいっぱいある、うるさいおじさんおばさんがいない。

根本氏→学校図書館を整理すべき、読書市民の形成。

石井氏→版元を助ける図書館。新刊の貸出を6ヶ月待ってくれる図書館。

手元のメモをもとにシンポジウム全体の流れを追ってみたのですが、以下に雑感を幾つか。正直に言ってしまえばモヤモヤの残るシンポジウムでしたね。

・日本文藝家協会と公共図書館、どちらが主語なのか最後までよくわからなかった。シンポジウムのタイトルだけ見れば公共図書館なのでしょうが、話されている内容を考えるとどうやらそうでもない感も。

・公共図書館と出版業界、林氏が「同じ船に乗ったもの同士」ということを言っていましたが、両者を結び付ける根拠が経済的に厳しいということ以外に見つけられなかった。その点だけに依拠して「同じ船」という問題意識を持っているとすれば、やはり違和感を持たざるをえないと。

・配布資料には、貸出至上主義に走らない新しいタイプの公共図書館があるが僅かに1%に満たないとある、にも関わらずその1%に満たない図書館を猪谷氏が15分余りも紹介したのは何だったのか、その位置付けがよくわからなかった。このシンポジウムの主語が公共図書館だとしても、問題は99%の公共図書館の方にあるはずなのに。

・話し合うというより、出版業界からの公共図書館への一方的な申し送りに感じた。図書館の人間として登壇した猪谷氏と根本氏、共に厳密に言えば公共図書館の人間(当事者)ではない。要は公共図書館を主語とした場合でも、その声を代表する人間として適当だったのかどうか。

以上雑感です。質疑応答もなく、一方的な感は否めなかったですが、一公共図書館に関わる人間として屈していられないですね。というより、対立軸を作ることより、もっと建設的な話をしてほしかった。利用者の図書館リテラシーを上げる云々のところなど、その格好の糸口だったと思うのに…。

なんかスッキリとはしませんが、とりあえずはここまでで。手元のメモをもとに書いたので、事実誤認などあればご指摘等いただければ。